株式会社イースクエア 共同創業者
リーダーシップ・アカデミーTACL 代表
NELIS−次世代リーダーのグローバルネットワーク 共同代表

1967年デンマーク生まれ。日本在住20余年。
コペンハーゲン大学文化人類学部卒業。
著書などに関しては、こちらをご参照ください。

主な経歴
1984-1985高校留学生として初来日。栃木県宇都宮高等学校に通う。
1988-1989ドイツ、デュッセルドルフ市で日系企業に勤める。
1989コペンハーゲン大学文化人類学部入学。
1990-1992大学を休学し、日本で英会話の講師および通訳者・翻訳家として働く。
1995コペンハーゲン大学文化人類学部卒業。
1995-1998東京にて、中小企業向けのコンサルティング、国際シンポジウムの企画・運営、雑誌の編集に従事。特に、中小企業の経営者にエコロジーと経営の接点をテーマとする。
1998-2000「将来の社会・経済像」をテーマとして出版企画に従事。マレーシアのマハティール首相(当時)、シンガポールのリー・クアン・ユー元首相、経済学者のジョン・K・ガルブレイス、環境学者のレスター・ブラウン、社会学者のダニエル・ベル、未来学者のジョン・ネズビッツなどを訪問・取材し、日本向けの書籍を企画・監修する。
2000-2001東京MXテレビ初の外国人ニュースキャスターとして、夜のメインニュースを担当。
2000環境・CSRコンサルティングを手掛ける株式会社イースクエアを木内孝とともに設立、
2011年まで代表取締役社長を務める。
日本を代表する企業、大学、経済団体、省庁などと、数百にわたるプロジェクトやコンサルティング案件に携わる。また、環境・LOHAS志向の新興企業や、志ある地方の経営者との協業にも積極的に取り組む。
LOHAS(健康と環境を志向するライフスタイル))やカーボン・ニュートラル/カーボン・オフセット、本来農業など、常に新しい時代を切り開くキーワードや思想をビジネスの世界に持ち込むべく、活動する。
2011株式会社イースクエア社長を退任、共同創業者に就任。
2013日本の今後の社会デザイン・社会モデルと、社会と共発展できる企業の在り方をテーマとして、執筆と講演・研修活動を始める。
2014リーダーシップ・アカデミー代表に就任(潟gランスエージェント内)。NELIS−次世代リーダーのグローバルネットワークの共同代表。



1978デンマークで原子力発電の導入に反対する市民デモ行進に参加。
10歳にして(親に連れられて)、1万人による30kmのデモ行進に参加。
この日、全国的に展開された平和的な抗議行動により、デンマーク政府は原子力導入に関する決議を遅らせ、後に完全に原子力発電を諦め、再生可能エネルギーを国のエネルギー政策の柱に据えることを決定する。
市民の声で実際に世界を変えるができると(後に)感じた出来事である。
1984-1985栃木県宇都宮市に一年高校留学し、日本の家庭にホームステイ。
日本の文化、価値観、国民性に強い関心を持ち始める。
特に、日本人の一生懸命さや思いやりに心を打たれ、この国には大いなる可能性があると感じた。
1994英国シュマッハー・カレッジにて、4週間にわたり科学者フリッチョフ・カプラの講座に参加する。
講座のテーマは、「ガイア、エコロジーとシステムズ思考の生命観」だったが、
世界的権威であるカプラ氏と、世界各地から集まった30数人の生徒とともに、当時台頭しつつあった新しい世界観、科学、環境学などについて熱く語り合う。その後の仕事の礎は、ここで造られた。
1997-1999世界的な政治家、経済学者、環境学者、未来学者、社会学者の日本向け出版を企画し、現地取材を行い、編集を担当する(主な人物は上記の経歴をご参照ください)。
彼らの叡知を共有していただけたことは、私にとってかけがえのない経験となった。
また、真に偉い方こそ謙虚であるということも実感した。
政治家として取材したマレーシアのマハティール首相(当時)とシンガポールのリー・クアン・ユー元首相には、国や国民のことを第一に置く本物の政治家(英語では、statesmanという)の姿をみた。
1997米国サンフランシスコの国際会議で、
後に(株)イースクエアの共同創業者となる木内孝(当時、三菱電機アメリカ会長)と出会う。

日本企業の重役の講演は退屈だろうと予想していた私だったが、
「熱帯雨林から学んだこと」を題に講演された木内さんの話は、示唆とユーモアに富んだ素晴らしい内容で、800人の観衆が思わずスタンディング・オベーション。
その後、木内さんの自然・弱者・未来に対する怯みなき情熱から多くの刺激を受けている。
2000-株式会社イースクエアを設立、グリーン・エコノミーの実現、持続可能な経営への助言を始める。
多くの日本の企業・経済人と深く語り合い、一緒に様々な企てを行ってきた中から、
企業の可能性と限界の両方を強く感じている。
企業なくして持続可能な未来は築けないが、現在の資本主義のルール下では、企業だけでも充分な変革・文明的転換は成し得ない。持続可能な市場経済(sustainable market economy)の新たなルールづくりに取り組む必要性を強く感じている。
2004LOHASのティッピング・ポイントを目の当たりにする。イースクエアの仕事の一環として、
2002年に米国社会学者ポール・レイとともにLOHAS(健康と環境を志向するライフスタイル)を日本に紹介。
その後、じわりとその概念は広まっていったが、2004年秋のある日、この考えが急速に日本社会に浸透しつつあることを実感した。
2001年夏頃、グーグル(日本のウェブサイト)で、「LOHAS」や「ロハス」を検索してみると、そのヒット数は、わずか55件だったが、2004年9月末頃、突然毎日1000件程度ヒット数が急増し始め、短い内に100万件を超えるに至った。
日本におけるLOHASが一つの臨界点、つまり「ティッピング・ポイント」に達した時であり、その後2〜3年程度、LOHASは一世を風靡した。
実際に新しい概念が社会に根付くことを目の当たりにした興味深い経験だった。
しかし、その後の日本に「健康と環境を志向する暮らし」が普及しているとは決して言えない。市民の熱意や価値観の変化だけでなく、政策の正しい方向感と、経済界の理解と協働が欠かせず、日本に今なお残る課題の一つと認識している。
2005「新しい文明を築く」と題して、ミハエル・ゴルバチョフなどが参加した五井平和財団主催のフォーラムで、私は、発表者兼司会者として参加。この時に強く感じたのは、永続性ある「次なる文明」は、草の根から、ボトムアップによってしか実現できないだろうということであった。長い年月を経て、この時の体験と想いは、2014年、滋賀県の二人の友人&事業家とともに立ち上げたNELIS−次世代リーダーのグローバルネットワークへとつながっている。
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